歴史に彩られた豊かな土地
ジロンド川の河口からガロンヌ川に沿って、またドルドーニュ県境にかけて広がるコート・ド・ボルドーは非常に変化に富む風光明媚な地で、豊かな文化的遺産にも恵まれています。有名な建築家や芸術家の足跡と結びついた古い城郭や要塞、邸宅は、この地が様々な歴史の舞台であったことを証明しています。また狭い道でつながれた村々やバスティードと呼ばれる中世の町並み、砦として使われた風車小屋などからは、数世紀に渡って農業や商業が盛んであったことがわかります。
コート・ド・ボルドーはフランスワインの歴史のみならず、この国の変遷を見届けてきた地域でもあります。いくつかの歴史上の重大事が、この土地で起こったのです。
ローマ時代からこの地方にブドウの木が植えられていたことがわかっています。2世紀初頭には、既にローマ人がここに《ヴィティス・ビチュリカ》種を植えており、4世紀には、ローマまでその評判が伝わるほどの素晴らしいワインだとオーゾンヌが書き残しています。
更にその後、アキテーヌ公国アリエノール妃がアンリ・プランタジュネと結婚し、ワインがイギリスで販売され始めたことで、当地方のワイン作りも大きく発展しました。1453年のカスティヨンの戦いで英国によるアキテーヌ統治が終わると、この大発展にも終止符が打たれました。
17世紀後半に入ると、コートのワインは更に新たな飛躍を遂げました。長期の輸送や保管に適していたため、イギリス人のお気に入りのワインとなり、遠く彼らの植民地まで運ばれたのです。
18世紀初頭から再びコートではワイン生産に力が注がれるようになり、20世紀に赤と白ワイン双方でコートのアペラシオンが正式に誕生します。
コート・ド・ボルドーの変遷:
1985 : 異なるアペラシオンに属していた生産者らが、それぞれが持てるものを出し合い、共通のアイデンティティーのもと一つの団体を形成することを決めました。こうして、5つのコート栽培地による協会が誕生しました。
2004年-2007年7月 : 共通のブランド名で高い知名度を得るために、協会に属するアペラシオンが構成する《AOCコート・ド・ボルドー》の制定案が生まれました。
コート・ド・ボルドー協会はコート・ド・ボルドー連合に名称を変え、ブライ、カディヤック、カスティヨン、フランの4つの生産地をまとめます。
2008年10月 : 新アペラシオンの仕様書案が、官報に掲載されました。当計画には、ファミリーネームに当たる共通名コート・ド・ボルドーに、ファーストネームに当たるブライ、カディヤック、カスティヨン、フランの一つを併記して、それぞれ個性的なテロワールにも光を照てることが盛り込まれました。
2009年10月31日:INAOおよびボルドー行政裁判所との協議を経て、新AOC《コート・ド・ボルドー》が正式に誕生しました。
2011年12月 : デクレにより仕様書が認可されました。
2015年4月 : コート・ド・ボルドーの現状分析。アイデンティティーを新しいビジュアルで表現。
2016年11月:省令により新仕様書の内容を統一。サント・フォワ・ボルドーが正式にコート・ド・ボルドー連合に参加。